MyEnigma

とある自律移動システムエンジニアのブログです。#Robotics #Programing #C++ #Python #MATLAB #Vim #Mathematics #Book #Movie #Traveling #Mac #iPhone

読んでない本について上手に語る人を、教養人と呼ぶ 『読んでいない本について堂々と語る方法』


この本は

どのように読書をするのか?という

How to系の本かと思いきや,

内容は,読書とは何か,読むことと読まないこととは何かを

ロジカルに議論している本です.




読書好きで,本を読むことが生活の一部のようになってくると,

ある日,自分の本棚を見て驚愕します.

「自分はこんな多くの本の内,

 自分はどれだけ理解し,

 その内容を身に付けたのだろうか」

と.


そんな時に思うのは,

本を読んだということはどうゆうことなのか?

ということです.



一度読んで,内容を忘れた本は,読んでいないことになるのか?



内容は読んだことがないが,友達から話を聞いて

おおよその内容がわかる本の場合,

それは読んだことにならないのか?



などなど,

この本は,読書を人生の糧にする人が

必ず一度はぶつかる問題を,解決しようと試みます.



解決の結果はともかく,

切り口が非常に面白いと思いました.




以下は読書メモ.


本を読むことは,本を読まないことと表裏一体である.

どんなに熱心な読書家においても,ある本を手にとり,それを開くということは,

それとは別の本を手に取らず,開きもしないということと同時的である.

読む行為は,つねに『読まない行為』を裏に隠しているのだ.


読む本を選ぶ時点で読書は始まっているのですね.

従って,教養のある人間は,云々の本を読んでいなくても別に構わない.

彼はその本の内容はよく知らないかも知れないが,その位置関係はわかっているからである.

結局,教養とは大局的な地図みたいなものなのでしょう.

ある本の内容が,その時の時代背景に影響されていると言えば,

あなたも,すぐに教養人の仲間入りです.


読書は,何かを得ることであるより,むしろ失うことである.

結局,読書とは本の内容をすべて頭の中に入れ,

そして,時間と共にその内容が失われていく過程も読書と言うのでしょう.

つまり,最終的に頭に残った内容が読書の結果であり,

失うことで結果を得るのです.

彼は一同に大学院時代に発明したゲームを教えた.

自分がまだ読んでいない有名な本を上げ,

すでにそれを読んだ他の者一人につき,一点獲得というゲームである.

このゲームの名は『屈辱』と命名された.

このゲームは,普通の人が読んでいるべきである本を

自分は読んでいないことをカミングアウトする行為です.

自分の場合,

『世界の中心で愛をさけぶ』

『ハリー・ポッター』シリーズですかね.


書物は物理的書物とそれを読むもののあいだにある.

結局,読書の過程で,

自分が得た物が唯一であり,

その本に書いてある内容とは全く関係ないのでしょう.