今日,数年ぶりに映画館で映画を見てきました.
見てきた映画は宮崎あおいさんが主演している『ソラニン』です.
原作の漫画好きの友達にとても強く勧められて,見に行くことにしました.
結論としては,いい映画だったと思います.
最初から最後まで,まさにモラトリアム映画でした.
ビリー役の桐谷健太はめっちゃカッコ良かったし,
宮崎あおいさんも,とてもかわいかったし,
途中のバンドの演奏シーンも,高校時代を思い出させてくれて,
ライブハウスに行きたくなりましたし,
なんといっても,芽衣子と種田の同棲シーンがとても良く出来ていて,
つい,こちらがニンマリしてしまう感じでした(笑).
自分は原作の漫画を読んだことはなかったのですが,それでも楽しめたと思います.
しかし一方で,これは映画自体の仕上がりとは関係ないのですが,
個人的には,あまり感情移入することは出来ませんでした.
おそらく,これは自分がある意味で大人になったから,
または,完全に大人になりきれていないからだと思います.
もし,この映画を高校時代に見ていたら,かなり感動していた思います.
彼らが生きるモラトリアムの時代と,夢と現実の葛藤,
まさに若い人が最も共感できることであり,これこそ若者の映画だと思います.
またもし,この映画を十年後に見ていたら,これもまた感動していたと思います.
自分が失ったモラトリアムと,若き日の夢,そして現実を生きること
過去を振り返って,若い自分と重ね合わせながらも,
ある意味達観しながら,映画の中の彼らを応援できたと思います.
しかし現在では,残念ながら,少し冷めた自分がいました.
現実と夢に大きな隔たりがあることを知ってしまっているし,
そしてその夢というものも,叶えてしまった時には,
それもつまらない現実になってしまうことも知っています.
「夢を追え!」という人はたいてい,夢を追っていない人で,
夢を追っている人は,
夢を叶えることを断念した人であればまだしも,
夢を叶えた人でさえも,自分の叶えた夢の不自然さに困惑している.
周りの人は夢を追うことを表面上では応援しながらも,
心の奥底では差別し,自分の叶えられなかったことを棚にあげて,卑下している.
そして,最も悲しいことは.
夢は追っている時が最も美しく,
叶えてしまうと,途端に現実に汚されてしまうということです.
学生生活最後の一年に差し掛かった自分としては,
まさに共感という意味では,最適な時期にこの映画を見ることができたにも関わらず,
あまりにも自分の状況に近すぎて,少し現実と重ねあわせ過ぎてしまった気がします.
最後に,この映画を見て,夢を現実について考えていた時に
不意にあるニーチェの言葉を思い出したので,引用したいと思います.
善悪の彼岸
それは,善悪の判断や道徳を完全に超越した場所のことだ.
愛からなされることはすべて,その場所で起きている.
だから,愛の行いは,
一切の価値判断や解釈が及ばないものであるはずだ.
僕らが追いかける夢というものも,この善悪の彼岸に存在する.
しかし,決して私たちが暮らすこの現実は,善悪の彼岸ではない.