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五分後の世界 村上龍

読書メモ

昔から,思っていたのだけれども,

自分の印象に残る小説,

つまり,

好きな小説には,ある共通したテーマがあると思います.

それは,新たな世界,

または新たな世界観を提示するというものです.

今回のこの作品も,我々に新しい世界観を提示してくれています.



今の世界は自分にとって唯一の世界でです.

これは自明で,これ以外の世界を体験するには,

この先100年近く生きて,

新たな世界が生まれるのを待たなくてはなりません.



しかし,たとえあと100年生きたとしても,

どれだけ世界が変わるかは怪しいし,

そもそも何も変わらないかもしれません.



たとえ,人間が自分たちの生活拠点を宇宙に移したとしても,

おそらく,我々は同じように悩み,

当ての無いゴールに向かって努力していくでしょう.



しかし,人間にとっては長過ぎる時間を犠牲にしなくても,

新しい世界を見て,体験することができる方法があります.

それは,新しい世界を空想することであり,

またはそれをプロにしてもらうこと,

つまり小説を読む事です.



元来,本を読む事は他人の人生を再体験することであり,

また新たな世界を体験することと同義であるに違いないと思います.



先ほど,未来の新しい世界を体験するという話をしましたが,

小説の場合,

未来だけでなく,過去も再体験することができると思います.

これは小説のみの大きな利点です.



歴史的な時代の転換点,

または,

その後に生まれた人々はしばしば,

このように思います.

「もし,あのとき,あのような出来事が起きていなかったら,

 今の世界はどのようになっていただろうか?」



または,


「もし,あのとき,違う選択をしていたならば,

 今の現状はどのようになっていただろうか?」


今回の作品もこのような質問に対して

一つの仮説を我々に提案してくれていると思います.



もし,あの時,日本が多くの犠牲を出して,

一つのことを学んだとしたら.

今のように,すべての人が希望を失わずに済んだのかもしれない

と.



日本人は戦いの中にしかアイデンティティを見いだせず,

犠牲を伴ったとしても戦い続けたほうが,

周りの国に尊敬されたかもしれません.


そんな,いろいろな可能性を提案してくれています.



詳しい内容は,実際に読んでもらうことにして,

読んでいて五臓六腑が震え上がった場所を引用してみることにします.

子は親の言いなりになっているし,親も子のいいなりになっている.

みんな誰かの言いなりなっているわけだ.

要するに一人で決断することがおっかないもんだから,

あたりを窺って言いなりになるチャンスを待っているだけなんだよ.


その通りなのかもしれません.

人間とは本当に自分自身で決断をしないように生きていきたいのではないでしょうか

常に誰かの命令や,周りの空気を読んで,それに追従するようにする.

その理由は,決断がエネルギーを多大に使用することだからか,

それとも人間自身が個体ではなく集団に生きて行く生物だからかはわかりませんが,

いずれにせよ,

我々の殆どの個体がそのようなベクトルを心の中に持っている気がします.

まあ,この気質こそが文化を生み出したのかもしれませんが,


一方,戦争のように,

自分の命がかかっているときには,このようにはなりません.

自分の命のためには,足を一歩前にふみだすことさえも決断を迫られます.

他人の命令や,周りとの連携も重要だが,

最後には自分自身の決断こそが自分の生死を決定するのです.



このような世界はある意味,

生が充実しているのかもしれません.

自分が決断し,そしてそれによって生き抜く事ができたのならば,

現代では自分に自信がもてない人たちでも,

自分を誇り,ほめてあげることができるかもしれません.



結局,

人間は死に直面しなければ,

生を実感できないようです.

よく言われることだけれども.


常に生きる事だけを考えて,行動する

それがゲリラの本質だ.

生きる意味を考えることは,

哲学者じゃない人でも,

殆どの人が経験あることだと思います.



しかし,たいていは明確な答えが出せず,

そのままその問いさえも忘れてしまうのです.


自殺者が多い現代,

それを防ぐには,

私たち一人一人が社会の”ゲリラ”になる必要があるのかもしれません.

会社や社会に依存せず,自分の生きる事だけを考える.

これはある意味,利己的な行動を助長するような感じもしますが,

一方で,それが達成できたら,

あとは余力で

好きなだけ他人や共同体に優しくなれるのではないでしょうか?

とりあえず,極限の状況では自分が生きる事だけを考えます.

もし,生き残ることができたならば,

あとは好きなだけ挽回できるはずなのですから.


敬語は責任の所在を曖昧にする,伝達スピードを遅くさせる.

敬語が必要ないとは思いません.

誰かを敬うのは,すばらしいことです.

しかし,メリットがあればデメリットもあります.

敬語を使うことにより,案に,責任を他人にかぶせることがおきます.

誰かにへりくだれば,かれらの主従関係は自動的に決定し,それは決断を鈍らせます.

これは日本語を使っている以上,避けられないことなのかもしれません.

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